媒体を無くすということ

僕です。

 

*

最近、森博嗣氏のブログを読んでいる。

抽象化された表現のなかの普遍性。

これは、本当に前からおっしゃっているし

だからこそ、書かれているのですよね。

日記は仕事。

 

脳みその展開。

きっと、アウトプットが本当に理解できる人なんて

いないのではないかという思いと

(そもそも、アウトプットした時点で摩耗している)

妄信的にファンであるようにはなりたくない

という考えのもと

だけれど、作家の中で、一番好きな人は

森氏

少しでも、近づきたいと願うのは、悪い事>影響

ではないと思う。

 

*

 

好きなものが多すぎるから

僕には恋人が出来ないのかしら。

(ストロベリーショートケーキ(笑))

 

TVを見ず、新聞を読まず

時々流れてくる外聞で世間を知る。

そうゆう生活を長く続けてきたのですが

twitterをはじめてから、情報量が格段に上がりました。

自分の興味のある方のみ表示されるから、偏りはあるのですが、

 

良い・悪い ではないけれど

有れば手放せないは嘘

全てを手放してしまっても、生きていける

何を捨てるのかが重要。

(なんか違うか。。。)

 

*

言葉が年々軽薄になっている気がする(自社対比)

単純≠軽薄

単純になる。明快になるのは良いコトだと認識。

伝わるコト、伝えようとする意志。

軽薄は、本質の表面を撫ぜるようで気持ちが悪い。

 

歳をとったので、人格が変容するのは自然な事ですが

そして、自分で選択して、軽薄な人格になろうと努力しているのです。

でも、言葉を失うのは怖い事なので、気をつけよう。。。

 

よく、馬鹿なフリして実は賢いキャラ、いますが

実際に馬鹿なフリが板につくと馬鹿になりますよ。

本質と表面に乖離が発生すると、脳みそ(精神?)バランサーが発動されるからなのかな?(観察)

馬鹿になれるのは、馬鹿ではない。

 

*

 

つまんない

つまらない

そういいながら

時間を無駄にしている

スキな事が

だんだんと単純な概念に変容

醜い袋を引きづりならが、刻々劣化

だから、僕は、君になりたいとおもいながら

少しだけ

踏み出す